恋する北海道FINAL:『北のソウル』
※長いし、重いし、グロな表現も一部あるので、ご注意を。
寝覚めは悪かった。電気つけっぱなしで、なんとか座椅子から布団へ移って3時間眠った。
今日、北海道最後の、一人旅を敢行する。アイヌ文化に触れる旅。僕が北海道に来た1年前から決めていた最後の旅だ。
僕はアイヌ民族の存在こそ知っていたけれども、彼らがなんなのか深く考えたことはなかった。
北海道に住むことになり、行くなら北海道を理解したいという気持ちの行き着いた先がアイヌだった。大阪や東京に住んでいてそういう気持ちにはならない。そこまで考えたのは、北海道ならではの魅力だろうか。
最近読んだ『シュマリ』。手塚治虫が開拓期の北海道を舞台に、主人公・シュマリの破天荒な人生を描いた漫画。アイヌも当然多くでてくる。
手塚は描くに当たり、アイヌ民族の表現に関してアイヌの方々にチェックを受けながら描いたという。その際にかなりのチェックを受け、シュマリ自身が手塚の表現が抑制された主人公となったことを、悔やんでいた。
全ては明治維新以降、和人(本土から来た人)によるアイヌ民族への支配・制圧に始まる。
アイヌの土地、文化、食料、言葉に至る全ての自由が奪われた100数十年前から。
その流れは今直、環境改善と時代の推移で状況が変わったとはいえ、続いている。
レンタカーで札幌から。サンボマスターを聞きながら2時間。アイヌの聖地と呼ばれる平取・二風谷へ。
8月に少しだけ寄った地、二風谷は今も、アイヌの人々がその文化を大切にしながら住んでいる場所だ。
昼前に着いた。あいてればランチで、と思っていたアイヌ料理の店は閉まっていた。
まず、前に寄れなかった二風谷アイヌ文化博物館へ。
アイヌ民族は文字を持たなかった。先祖代々の系統などは全員頭で覚え、言い伝え、昔話は口承で受け継がれた。アイヌ伝説の口承は「ユーカラ」と呼ばれ、後に金城マツさんや萱野茂さんが記録し歴史資料として残ることとなった。
(萱野さんが録音したユーカラの少しを。)
アイヌの儀式として有名なイヨマンテ(熊送り)。日本全国、誰しも一度は耳にした単語ではないか。
少しアイヌについて勉強した僕でさえ、イヨマンテの絵は見たことはあったが、実感したことはなかった。
この二風谷では、萱野茂氏を中心にアイヌの儀式・イヨマンテ(熊送り)を風化させることなく、忠実に再現し、1977年には記録カメラを入れて実施した。
その記録映像を資料館で見た。放送はたぶんされなかったのだろう。熊が殺され、目の前で解体されていく。矢を射られ、皮をはがされ、頭蓋骨を割られ脳が取り出され。目の前で見ると強烈過ぎて目を背けたくなるが、考えてみれば自分の食卓で、スーパーで買う食肉ならいいんですという通りはないはずだ。アイヌの人々は、肉と毛皮を与えてくれる熊を神の国へと返す儀式としてイヨマンテを行ってきた。自然とともに生きてきた彼らの文化だ。細部にわたるまでの再現を試みたその意思は、VTRでも十分に伝わった。
資料館を出て、次の目的地は、どの旅行ガイドにも、現地の観光案内にも載らない地。
明治、アイヌを追いやるがために強制移住させられた、平取の山奥、上貫気別。平取りから1時間程山奥へ入った僻地だ。
支配に目障りだからという理由で、誰も踏み入ることの無い山奥に強制移住・労働させられたアイヌ。上貫気別に着き、現地の小学校だったという跡地に車を止めた。移住させられた時は、まずこの土地に住めるよう、木を切るところから始められたという。
10年前に近隣と合併になり廃校になった上貫気別小学校(旭小学校)跡地。それまで少数ながらここで子供達が育っていたのだ。まだ運動会や催し物のための装飾品が残っていた。車脇でタバコを一服。もうすぐ来る冬、すぐにこの奥地も雪深い厳しい地に変わる。
上貫気別からの帰り道、山間に墓地を見つけた。興味本位で墓地に入るのは悪いことだとわかっていたが、この土地で亡くなられた方々への供養という言い訳含め、入った。
家紋がありながら、アイヌの名前で葬られているのは、和人と結婚した方だろうか。家紋ではない幾何学的な文様は、純アイヌの方々のお墓なんだろうか。手入れされているお墓はひとつとしてなく、無縁仏の墓も入り口近くにある、印象的な墓地だった。
二風谷に帰り、アイヌ文化博物館とは数百メートルにある、萱野茂氏の二風谷アイヌ資料館に寄った。
前回立ち寄ったときは、家族と一緒だったのでゆっくり見ることはできなかったが、今度は隅々まで見ることができた。
萱野茂さんが資財を投げ売って収集したアイヌ民具。文字を持たず、記録をせず、記憶の中で自分達を完結させてきたアイヌ民族の文化を、必死に残そうとした萱野さん。僕は彼の著書で、ここに来た。
資料館を堪能した帰りの受付で、萱野茂さんの『アイヌの碑』の続編『イヨマンテの花矢』が昨年秋に出ているのを知った。
萱野さんは今年の春に亡くなったので、その後半生の自伝といっていい。『アイヌの碑』は、幼少時代からアイヌ資料館創立までの歴史。それから国会議員になり、アイヌの復権、二風谷ダム訴訟、そして文化の継承をテーマに奔走した日々がつづられているという。早速購入。
今日泊まる宿、民宿「チセ」に電話を入れ、チェックインすることに。
前回二風谷に来たときに、巨大な藁人形のようなオブジェ(アイヌにとっての神様)に気を惹かれた民宿。二風谷出身のアイヌのご夫婦が経営している。
午後5時過ぎに着き、ご夫婦に会った瞬間、すぐにあったかい人柄であることがわかった。
きっと構えてくる客が多い中で、「受け入れよう」という気持ちが客側にまで伝わる宿であった。
腹ペコだったのですぐに夕食をいただいた。
料理はいたって何気ない家庭料理。松茸で出汁をとったうどん。沙流川の釣堀で釣ったヤマメなど。ここ1週間コンビニ弁当ばかり食べていたので、それは身に染みた。
一応、アイヌ研究者が来るときは鹿汁とか出すらしい。その話を聞き、観光用の料理は今はいらないかなあと感じた。
ごはんの脇にあったアイヌねぎのおつけもの。これは今、おかみさんが味付けを考えながら、よく食べているもの。胃袋に染みた。それでいい。
食事をしながら、おかみさんとたわいもないファイターズ優勝の話をしながら、聞きたかった昔話を。たぶん聞きたかったことはわかっていたと思うけど。
あらためて北海道を、和人がアイヌ制圧・支配・差別した様はひどいことだったと認識。もう少しやり様はあったのではないかという程に。
二風谷でご結婚されたご夫婦の幼少の頃には、もうすでにアイヌ語は禁止されていた。そんな「汚い言葉」は使うなと言われて、一切のアイヌ語は教育される場がなかったという。
民宿チセの斜め前の二風谷小学校。当初はかやぶき、木造からセメントブロック、数年前にやっと鉄骨の校舎になったとか。
校舎に立ち寄って眺めた僕は、ここで子供達がどういう気持ちで教育を受けてきた歴史があったのかは、話でしかわからない。少なくとも、今、僕や僕の息子達が受けるような環境とは違う、露骨なまでの差別が表立っていたのだろう。
おかみさんの話は続いた。
マッカーサーが、北海道をアイヌの人々に帰すべきだという意見を持っていたということや。
萱野さんへの感情。彼の、「記録」という概念を持たないアイヌ文化を後世まで残すという偉業は、実はアイヌの人々の願いの集大成であったこと。彼は、個々人が「心に秘める」という文化のアイヌの代弁者であったということ。彼ひとりの想いではここまで成し得なかったこと。
二風谷ダム訴訟で、萱野さんと少数のアイヌが反乱し、世間に目立つことによってアイヌ姓がわかりやすくなり、特に二風谷の外に出ているアイヌに対する差別を心配したことなど。
民宿チセご夫婦の息子達は3人。旭川、横須賀、札幌に。
40代にもなる子供達だが、普段の日常では、アイヌであることは隠しているという。
今僕の時代(30代)は、アイヌの歴史的な経緯さえ興味がないと知らない。アイヌ差別なんか風化していると声を大にして言える。
アイヌ、あっそう、なんか模様とか含めてかっこいいじゃんってなものだ。でも、その虐げられた歴史を受け継いだ人々はそうはいかない。虐げて来た人々の血を継ぐ者が、「かっこいいじゃん」って言っても、何もつながらない。
結婚するにしても、アイヌの血が入ることに嫌悪感を感じる人々がたった今いることに否定はできない。
部屋に戻る。鹿がでるという暗闇の庭山を眺めながら、布団にもぐった。
翌朝、あたたかい朝食を食べ、冷え切った体をシャワーで温め、帰る支度をした。
ご夫婦はその日、アイヌ民族の研修とやらで福岡から10数人で押し寄せる客を迎え入れるため気が入っていた。
僕は何度も感謝の別れを告げ、レンタカーに乗った。また来たいと伝えた。
おかみさんは、来年の雪祭りの頃、札幌であるアイヌ刺繍の展覧会に出品するという。保障はできないけど、頭が回って、余力があればぜひ見にいきたい。
車は、札幌へ。実は白老の観光ポロトコタンにでも行こうかと予定していたのですが、二風谷で満足したので、行く必要も無いかと思い札幌へ戻ることにした。
車中、サンボマスターの曲、『手紙』のワンフレーズが胸に止まる。
“わかちあうことの美しさと、わかちあうことの難しさは、あなた自身で確かめて、あなた自身で確かめて”
北海道は何たるがゆえに今があるか、アイヌの時代から、明治維新を経て、和人の地となった現在の北海道。奥深い大地、地名と共にアイヌのソウルは死なず、息づく。
萱野茂さんの後半生の著書、「イヨマンテの花矢」。民宿チセでのおかみさんの話を聞いてからこの本を読む価値は高い。僕なりの結末は、僕自身で読み取ることにした。
僕が北海道で一番自然になれた場所、二風谷にまた戻ることが、いつかあるような気がします。
札幌駅付近の自宅に帰った今、北海道に関して真っ白な気持ちの自分がいます。
あとはこの冬の仕事に、全ての気持ちを持っていきます。
でも、自分旅以外はまた、別のお話。貪欲にあと半年、この大地を楽しみますよ。
そして気づいたら、来年春ということになるのかなあ。。。
北海道はまだまだ、自分の中で続く大地であることにも、もちろん気づいています。
黄昏るのは、これからの大嵐を越えて。
この地を去る時まで、一旦とっておきます。
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